実はラブコメも大好きな映画ライター・ISOによる、恋愛娯楽映画の観測コラム。第1回は、2023年にお決まりの異性愛・アイデンティティ描写を軽々とへし折り、拳が飛び交うクィア恋愛映画をご紹介。

モテないクィアが珍事件を起こす「セックスコメディ映画」

1980年代に爆発的なブームを巻き起こし、それ以降も形を変えながら人気を博してきたティーンセックスコメディという映画やドラマのサブジャンルをご存知でしょうか。若者たちが性的な目的を動機にドタバタ劇を繰り広げる作品を指し、代表作に『アメリカン・パイ』(1999)や『スーパーバッド 童貞ウォーズ』(2007)などが挙げられます。

これらのティーンセックスコメディの定番パターンは「モテない男子学生が童貞を卒業するため珍騒動を巻き起こし、最終的にはセックスより大切なもの(純愛、友情など)に気付く」というもの。個性的な男子学生たちによる不条理で下品なジョークは時に笑えるものの、常に記号化されるお相手の女子や、男性中心な物語に内包される女性蔑視や同性愛差別にウゲェ……とさせられることもしばしば。

ですがそんなヘテロ男性たちによるティーンセックスコメディの定番パターンをクィアの女子でリテイクし、更にそれを飛び越えていく作品が、昨年Prime Videでひっそりと日本配信開始となりました。それが『ボトムス~最底で最強?な私たち〜』(2023)。

チアリーダーと近付くためにファイトクラブを結成

メガホンを取ったエマ・セリグマンは28歳の新鋭監督で、手掛けた長編は本作で2作目。ゲイを公表している彼女はこの映画を作った動機について「これまで私が成長過程で知ったような欠点のあるティーンを反映する、欲情したクィアのティーン向けの物語はありませんでした。私はたまたまクィアであっただけの、軽薄かつ欲情している厄介なティーンの女の子を見たかったんです」とThe Hollywood Reporterのインタビューで語っています。そうして制作された作品が一体どんなストーリーかというと……

冴えないレズビアンのPJ(レイチェル・セノット)とジョシー(アヨ・エデビリ)は、ロックブリッジ・フォールズ高校に通う仲良し2人組。高校最後の年にセックスすることを目指す彼女たちは、意中のチアリーダーと近付くため、護身術の習得を建前とした女子だけの【ファイト・クラブ】を設立します。殴り合い本音をぶつけ合ううちに女子の間に絆が芽生え、お目当てのチアリーダーとも良い関係になっていく2人。しかし彼女たちを敵視するアメフト部員にある嘘をバラされてしまったことで、事態は予想外の大騒動へと発展していきます。

セリグマン監督の言う通り、この物語の主人公であるPJは欠点だらけ。無鉄砲で暴力的で常時発情中、オマケに嘘つき。興味のないフェミニズムを利用し、憧れの女子とのロマンスを目論みます。不道徳極まりない人物ですが、これまでのティーンセックスコメディであらゆる個性豊かな男子が描かれてきたように、クィアな女子だって善人じゃなかったり、意識が低かったり、暴力的だったり、欲情していたり…色んな人がいて当然なんです。

お手本のようなキャラクターじゃないからこそ、あらゆる人が共感して、自分を重ねることができるはず。幼い頃のセリグマン監督をはじめ、多くの人々に求められていたであろう不完全で笑かしてくれるクィア女性の主人公が、この作品で遂に誕生したのです。

ステレオタイプなティーン描写をぶち壊すキャラクター

PJだけでなく、本作ではかつての映画で描かれてきたステレオタイプが次々と破壊されていきます。『赤と白とロイヤルブルー』の王子役が記憶に新しいニコラス・ガリツィンが演じるのはアメフト部スター選手ジェフ。これまでアメフト部選手はスクールカーストの頂点に立つ、男らしく暴力的な存在として描かれてきました。

ですが本作のジェフはドラマクイーンのような振る舞いで、些細なことで喚き叫び皆の同情を誘います。それは従来チアリーダーのステレオタイプとして描かれてきた性格でした。一方で本作のチアリーダー・ブリタニー(カイア・ガーバー)はというと常に冷静沈着。

フェミニズムに関心があり、自身でビジネスも行っているような聡明な人物です。共にこれまでの映画で中々描かれてこなかった人物像ですが、それこそ多様性に満ちた現実を反映するあるべき姿。アメフト部員がドラマクイーンであろうと、チアリーダーがクールであろうと当たり前に良い。そうやってこれまでの作品で描かれてきた“らしさ”を軽やかに覆していくのもこの映画の魅力の一つです。

また本作のステレオタイプ破壊は人物像のみに留まりません。

PJたちが設立するファイト・クラブは、言わずもがなデヴィッド・フィンチャー監督作『ファイト・クラブ』から拝借してきたアイデア。男たちが殴り合いを通して破壊衝動に目覚める『ファイト・クラブ』は有害な男らしさの象徴的作品として(ラストにはそれを否定し克服していく作品であるにも関わらず)アメリカのインセル・コミュニティから熱狂的な支持を受けています。

一方で本作のファイト・クラブは女子たちが男性から身を守る手段を学ぶ場として機能し、やがて弱さを曝け出すセーフスペースへと変化していきます。殴り合うのは本家同様であるものの、その性格は真逆。“ファイト・クラブ”という言葉に抱く有害な男らしさという印象を巧みに覆していきます。一見荒唐無稽なようにも思える本作ですが、物語る過程であらゆる先入観をスマートに風刺し、翻していく様は痛快で堪りません。

血だらけのファイトクラブで育まれるフェミニズム

本作にはゴア描写はないものの、暴力的で血飛沫が飛び交う過激さによりレイティングはR18+。なぜティーンセックスコメディで…と思いますが、その理由は簡単。本作の舞台であるロックブリッジ・フォールズ高校(及びその周辺)の治安が終わっているからです。

ロックブリッジ・フォールズ高校はご近所のハンティントン高校と長年の因縁を抱えているのですが、その2校のアメフト試合では毎回一人以上の死者が発生。女子生徒はハンティントン高校の生徒に襲われ、爆弾魔も登場します。高校で死者や爆弾騒ぎが発生する倫理観のバグりっぷりは、ウィノナ・ライダー演じる女子高生が好きな男子に唆されうっかり人を殺めていくブラックラブコメ『ヘザース ベロニカの熱い日』(1989)さながら。

そんな治安最悪の学校で不謹慎ジョークを放ちまくる本作ですが、唯一女性が抱える痛みや苦悩には真摯に向き合います。ファイト・クラブに集う女子たちはみな(PJ曰くグレーゾーンの)レイプ被害者ばかり。中にはストーカー被害を受けているのに警察は取り合ってくれないと嘆く生徒も。彼女たちは皆男性に対する恐怖を抱きクラブに集い、そこで痛みを分かち合います。

彼女たちは抑圧と女性差別に抗うために連携し、戦い方を身につけて心身ともに解放していく。下心剥き出しの偽物のフェミニズムを起点として生まれたファイト・クラブですが、やがてその活動はフェミニズム本来の性質を宿し、女性たちに力を与えていくのです。

本来若者の暴力を扱う作品であれば、それを克服していくプロセスが描かれるのが常ですが、あらゆるものを風刺していく本作においてはそんな定石はまったく通用しません。待ち受けるのは過激であっと驚かされるような展開。

それがどういうものかは観てのお楽しみということで。ティーンセックスコメディではお約束の笑いとロマンスを含みつつ、同時にあらゆる常識を覆していく『ボトムス~最底で最強?な私たち〜』。劇場未公開でひっそりと配信された不遇の作品ですが、知られないままにしておくにはあまりに勿体ない新時代の傑作です。

著者プロフィール:ISO
1988年、奈良生まれのフリーライター。劇場プログラムや月刊MOE、CINRA、映画.comをはじめ様々なメディアで映画評、解説、インタビューを担当するほか、音楽作品のレビューや旅行関係のエッセイなどジャンルレスに執筆。
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編集・イラスト:ヤマグチナナコ