※この記事では性犯罪報道についての描写が含まれます。フラッシュバックなどの心配がある方は注意してご覧ください。

もしある日、推しが犯罪者になったら——?

3月30日(土)より公開された『成功したオタク』は、推しが性犯罪者となった監督自身の葛藤と、同じように苦しむ友人たちのインタビューを映した韓国のドキュメンタリー映画である。その衝撃的な題材に、アイドル文化や推し活が盛んな日本国内でも公開前から話題を呼んだ。

あらすじ:あるK-POPスターの熱狂的ファンだったオ・セヨンは、「推し」に認知されテレビ共演もした「成功したオタク」だった。ある日、推しが性加害で逮捕されるまでは。突然「犯罪者のファン」になってしまった彼女はひどく混乱し、様々な感情が入り乱れ葛藤する。そして、同じような経験をした友人たちのことを思った。ファンであり続けるのか、ファンを辞めるべきか。彼を推していた私も加害者なのではないか。かつて、彼を思って過ごした幸せな時間まで否定しなくてはならないのか。「推し活」が人生の全てだった監督自身が過去を振り返り傷を直視すると同時に、様々な立場の声を直接聞き、その社会的意味を記録する。「成功したオタク」とは果たして何なのか?その意味を新たに定義する、連帯と癒しのドキュメンタリー。

アイドルに認知され熱烈なファンとしてテレビ共演まで果たした、“성덕(ソンドク)”(成功したオタク)だったというオ・セヨン監督。劇場公開に合わせて来日していた彼女に、映画の制作背景や葛藤、推し活の社会的意義、そして元推しへの思いを伺った。

オ・セヨン監督:1999 年釜山生まれ。2016 年〜2019 年まで釜山国際映画祭市⺠評論団として映画レビューを執筆。2018 年韓国芸術総合学校 映像院映画科入学。本作が⻑編デビュー作となる。

——心に傷を負ったファン同士の交流を、映画という形で記録したのは何故なのでしょうか。

マイナーな文化だと思われているからか、ファンの物語にはこれまで光が当てられてこなかったですよね。SNSでもファン同士で共有されてきたくらいで。私自身、最初からファンについての映画を撮ろうと思っていたわけではありません。大学で映画の勉強をしていた時に偶然にもこの事件が起こり、「ファンとは一体何なのだろう」「友人たちはどうやってこの辛い気持ちを乗り越えているのか」という疑問が湧いて、今回映画として撮ってみようと思ったんです。

——実は隣に座っている編集者も推しが捕まる経験をしたことがあるようで……劇中の「私が好きになった人は全員捕まる」という言葉にドキッとしたそうです。

この映画が公開された後、周りの人に「最近は誰か推しているの?」とよく聞かれるようになりました。というのも、みんな私が推した人は犯罪者になると思っているみたいで。推し被りを避けようとしているんです(笑)。

——本作を韓国で公開して、世間や周囲のオタク仲間からの反応はいかがでしたか。

特に印象に残っている反応が2つあります。1つは劇場でこの映画を観てくれた観客からの「私たちの物語を世に出してくれてありがとう」という感謝の言葉です。というのもファンダムというのは大抵若い女性で構成されていて、彼女たちは日々周囲から「そんな暇あるなら勉強しろ」とか「オッパ(推し)はご飯を食べさせてはくれないよ」などと言われ、白い目で見られることが多くあります。でもファンだって本当は複雑に物事を考えていて、その中で懸命にしている推し活はある種の社会活動のようなものなんです。観客に言われた感謝の言葉は「そんな自分たちの姿や活動を世に出して、世間に伝えてくれてありがとう」という意味なんだと受け取っています。

ファンの友人を一人ひとり尋ね、それぞれとラーメンを食べたり、カラオケを行いながらインタビューを行っていた。

もう1つ印象に残っているのは本作にも登場した友人たちからの反応です。すごく良い映画で感動したと言ってくれた友人もいた一方、「なんでこんな不細工に映したの!どんなカメラで撮ったの⁉︎」と訴えてきた子がいました。その友人は映画館での鑑賞後、横で観ていた人を捕まえて「実物の方が美人でしょ⁉︎」と確認したそうです(笑)。

——面白すぎる。確かに劇中に登場する友人は楽しい人ばかりでしたね。そんな友人たちとのマッコリパーティを始め、思わず笑ってしまうような場面が盛りだくさんの作品ですが、喪失感や性加害という重い題材をこれほどユーモラスに描いたのは何故なのでしょう。

性加害をした人のために涙を流すのは勿体ないじゃないですか。実はカメラに映っていないところでこっそり泣いたりもしていたんですけど、この映画で私たちが涙する姿を記録するのは絶対に違うと思ったんです。

推し活というのは主体的なものですが、同時に推しの存在がいて初めて行えるものという点では受動的な活動でもありますよね。本作では推しが罪を犯したときに、受動的な活動をしていたファンの人々が「もう好きでいることをやめよう」と主体的に決心する姿を見せたいと思ったんです。ただただ悲しみの底に沈み、もう誰も好きになれないという姿にはしたくなかった。今は辛くても、いつか笑って話せるようにしたいという思いがあり、一種のブラックコメディのように感じられる作品にしたんです。

——推し活は人生に彩りを与えてくれる絶対的に素晴らしいものだと思う一方、対象を偶像化してしまう危険性を孕みます。監督はその折り合いをどのように付ければ良いと考えますか。

本来の推し活は楽しいもののはずですが、それが辛く苦しいものになるのはおかしな話ですよね。おっしゃるように、ファンはついつい推しを偶像化してしまいますし、そのイメージが崩れたとき自分の中で崩れたイメージを元に戻そうと必死に頑張ってしまいます。そうならないように上手く折り合いを付けないといけないと思っていても、誰かを好きになるとそんな抑えも効かなくなりますよね。偶像化しないバランスを取るのはすごく難しいことなんです。そのバランスを上手く保つには、ファンに加えて、エンタメ産業を統括している人たち、そして推しの三者すべてが変化していく必要があるのかなと思います。ファンだけで折り合いをつけるのは難しいので、より大きな枠組みでシステムそのものを変えていく必要があるのではないかなと。

一方でファンは「世界で一番特別で大切な神のように思える推しでも、自分が見ている姿はごく一部である」と認識し続けることが大事でしょうね。私たちは相手が見せたい姿を見ているのであって、その人のすべてではないのですから。

——日本では未だ性加害への認識が甘く、加害報道があった際には二次加害が後を絶ちません。一方で本作に登場した韓国のファンは性加害に大変厳しいまなざしを向けていましたが、そういった性加害に対する認識は2016年に起こったフェミニズム運動の影響が大きいのでしょうか。

当時のフェミニズム運動にはとても影響を受けていると思います。女性ファンが男性有名人を好きになる際、頭から爪先まで、時にはありもしない幻想にまで恋焦がれ、思い煩(わずら)うことがあります。特にアイドルファンはそうなりがちですよね。でも韓国でフェミニズム運動が起きて、更にはMeToo運動も盛り上がり、政治家や芸能人を始め大勢の有名人の性加害事件が表沙汰となりました。私たちが日常生活の中で目にしていた多くの人々がそのような事件を起こしていたことが判明したので、自分たちも性加害に対して油断できない、安心してはいけないと考えるようになったのだと思います。

——日本では2022年にキム・ギドク監督の特集上映が予定されていましたが、反対の声が多く中止となったという出来事がありました。それに対し「監督と作品は別に考えるべき」といった議論が巻き起こりました。劇中でもカラオケで歌ったグループに性加害者がいたことに気付くというシーンがありましたが、性犯罪を犯した人物に関わる作品について監督はどう扱われるべきだと思いますか。

本作を観てくれた人にもよく「好きだったあの曲をもう聴いてはいけないのでしょうか」といった質問をされるんです。私も当時は悩んだんですけど、性加害者の創作物を消費するということは、その人の次の活動を応援することにもなりかねません。重い罪を犯した人に金儲けをさせることは、私は倫理的に正しくないと思うんです

劇中で監督が行ったグッズのお葬式シーン

「作品と人物は別に考えるべき」という議論は韓国にもありますが、果たして本当にそうなのでしょうか。その人物の本質的な面は、映画であれ音楽であれその作品に表れていると思うんです。世の中には他にも素晴らしいアーティストがたくさんいるのだから、わざわざ犯罪者の作品を消費する必要はないですよね。ただ難しいのが、 私は「この人はそこまで悪いことはしてないよね」と思って罪を犯した人の作品をこっそり観たり・聴いたりする一方、人には「どうしてあんな犯罪者の作品を見聞きするの」と言ってしまうことがあります。要はどこまでを許容するかは各々の倫理的な選択に掛かっているんですよね。ちなみに私はキム・ギドク監督の映画は観ようとは思いません。

私は友人と「新たに音楽を購入したら売上が本人に渡るから、どうしても聞きたいなら昔買ったCDで聞くか違法ダウンロードしたら?」と言い合ったりしています(笑)。もちろん冗談ですが、加害者が罪を犯すに至るまでに手にした富や名誉はファンである私たちが与えてしまったものでもあります。なのでそれをまた奪い返して、何もない状態で生きてもらわなければいけないとも思うんです。

——劇中でパク・クネ元大統領の支援運動に参加することで、監督自身が推し活を客観視するシーンがとても印象的でした。あのシーンはどのような思いで入れたのでしょうか。

チョン・ジュニョンのファンダムの中でも、私のように深く傷付き推し活を辞めた人もいる一方で、いまだに彼を守り、応援しようというファンもいました。それは何故なのだろうと疑問を抱いたことが、この映画を撮影する出発点の一つでもありました。その人たちはどうしていろんな報道がされている中でも、問題に目を向けず彼のファンを続けられるのかを考えているうちに、「パクサモ」と呼ばれるパク・クネ元大統領の支持者たちの姿が思い浮かんだんです。パクサモはコロナ禍でもソウル駅の周辺で毎週集会を開いていたので、「なんて迷惑な人たちだ」と思っていました。でもパク・クネ元大統領は可哀想だ、抱きしめてあげたいと狂信的に支持をしている姿は、チョン・ジュニョンのファンを続けている人とも似ているように感じました。そこで、パクサモたちがどういうものなのか実際に見れば何か発見があるのではないかと考え、その場に足を運びました。

私はそれまでパクサモとチョン・ジュニョンのファンを批判してばかりいました。でも本来、好きでいること自体は悪いことじゃないですよね。例えば1999年にアメリカで起きたコロンバイン高校銃乱射事件の加害者の母親が記した『息子が殺人犯になった』(2017年亜紀書房/スー・クレボルド著、仁木めぐみ翻訳)という本を読み、多くの人を殺めた加害者であっても息子のことを悪く思えない葛藤を知りました。実際悪いのは加害者なのに、その人をどうしようもなく好きでいるしかない人たちがなぜ同じように批判されなければいけないのか。この構造もまた、おかしなことだとパクサモへの参加を通して思ったんです。

彼らにとって、罪を犯した事実を受け入れることは自分自身を否定することにも繋がると考えているのでしょう。自らの選択や費やした時間、そして注いだ愛情すべてが間違っていたと認めてしまったら、自分の世界が崩れて無くなってしまうかもしれない。だから、罪を犯したことを事実でないと否定し続ける、という面があるのではないかなと思うのです。

——本作の発端となったチョン・ジュニョンが5年の服役を経て2024年3月19日に釈放されました。チェ・ジョンフンやV.Iなど一足先に釈放されたグループチャット事件のメンバーは非難を受けつつも韓国外での活動を行っていますが、監督はジュニョンに今後どのような行いを期待しますか?

この話をするのは、正直ちょっと怖いんですよね……。ただ、周囲のファンを代弁してお話すると、ただ静かに目立たず生きてくれと願っています。こういう風に思うことは間違いではないと思うんです。もし加害者が堂々とテレビに出たりステージに立っていたなら、辛い思いをしながら真実を明かした被害者たちはどうなるんでしょうか。その人を応援することでまた新たな加害に繋がる可能性もありますよね。だからとにかく目立たず生きてほしいです。

——最後に、監督は今推し活をしていますか?

していません。今は私自身を推しているので!

——セルフラブですね、最高!

映画『成功したオタク』
2021年/韓国/85 分/原題:성덕
3月30日(土)より シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督:オ・セヨン 配給・宣伝:ALFAZBET
公式サイト: https://alfazbetmovie.com/otaku 
公式X:@seikouotakujp

執筆:ISO
撮影:Yuki Zenitani
編集:ヤマグチナナコ